江田憲司の家族まとめ!妻はTBS取締役で父は元岡山県警署長!

江田憲司さんは、立憲民主党所属の衆議院議員です。

物価高騰が続く中、消費税率の引き下げを優先すべきだと訴え、世間では江田憲司議員を支持する声が上がっています。

今回は江田憲司議員の家族構成と経歴についてまとめました。

江田憲司議員の家族構成まとめ!嫁や息子は?

江田憲司議員は、妻と2人の息子との4人家族です。

まずは妻の弥生さんについてみていきましょう。

妻はTBSテレビ取締役の中谷弥生さん

江田憲司議員の妻は中谷弥生さん。

なんとTBSで「初の女性取締役」となった方だそうです。

東京女子大学出身で、10代のときには宝塚歌劇団を受けたことがあるという珍しい経歴もお持ちです。

大学卒業後にTBSに入社し、政治部の敏腕記者として活躍し、「DXビジネス局長」なども務めていました。

バリバリのキャリアウーマンですね!

江田憲司議員との出会いは、中谷さんが政治部で総理番をしていたときに、江田さんが総理秘書官を務めており、そこで出会ったそうです。

お二人が結婚したのは2001年。

江田さんは44歳、弥生さんが31歳の時で、この頃江田さんは選挙に落選後で、無職・無収入の状態でしたが、弥生さんは気にならなかったそう。

夫の賃貸マンションで新婚生活をスタートし、同じ年に長男を出産。

そして翌年2002年に、江田さんが衆議院補欠選挙で当選し、国会議員となりました。

子どもは息子が二人

江田憲司議員には、息子さんがお二人います。

・長男:龍生(りゅうき)さん 2001年生まれ。
・次男:翔紀(しょうき)さん 2005年生まれ。

詳細は不明ですが、お二人とも江田憲司議員の選挙区である神奈川県横浜市で幼少期を過ごしたと思われます。

息子さんたちは、あざみ野白ゆり幼稚園に通っていたそうです。

江田憲司 Kenji Eda /Facebook

江田憲司議員はお二人の性格について、「長男は、真面目・内弁慶・集中力がある、次男はお茶目・ねぼすけ・物怖じしない」性格だと語っています。

妻の弥生さんが仕事でいない時には、江田憲司議員が息子さんの食事をつくることもあったみたいです。

江田憲司議員の父母は?兄弟は?

当時34歳の父・芳昭さんと、6歳の江田さん、32歳の母・幸子さん

父は元岡山県警察署長

江田憲司議員の父親は、江田芳昭(よしあき)さん。

岡山県警察署の刑事で、署長まで務めた方とのことです。

仕事が大変忙しかったようで、一緒に家族旅行に行ったり、運動会や授業参観に来てもらった記憶はないそうです。

ただ、たまの休日にはキャッチボールをしたり、一緒にテレビでナイター観戦をしたりと、とても優しい父親だったそうです。

母はパートや内職をして家計を支えた

江田憲司議員の母親は、江田幸子(ゆきこ)さん。

芳昭さんが仕事で忙しかった分、きっと幸子さんが家庭を守っていたのでしょうね。

江田憲司議員が幼少期には、パートや内職をして家計も支えていたそうです。

弟は一人で、職業は医師!?

江田憲司議員の父親が最初にガンになったとき、父親を救ったのが当時医学生の弟さんだったそうです。

良性の腫瘍ということで手術するはずだった父を救ったのが当時医学生の弟。大学病院で再検査して悪性リンパ腫と判明し抗ガン剤治療に切り替えた。

https://blog.goo.ne.jp/edakenji/e/b0ad2387d28aaa99a59a0fff73fe089a

医学生だったということで、そのまま医療の分野に進んでいれば、現在も医者として働いている可能性が高いと思われます。

江田憲司議員の経歴プロフィール

・氏名:江田 憲司(えだ けんじ)
・生年月日:1956年4月28日
・出身地:岡山県
・趣味:食べ歩き、温泉旅行、カラオケ、スポーツ観戦
・学歴:岡山県立岡山操山高等学校、東京大学法学部第1類卒業
・政党:立憲民主党

通商産業省(現経済産業省)〜米国留学〜総理秘書官

江田憲司氏は大学卒業後、通商産業省に入省し、大臣官房総務課や生活産業局などで勤務。

1987年には1年間ハーバード大学に留学したそうです。

通商産業省に復帰後、1996年には橋本内閣発足に伴い総理秘書官(政務担当)に起用され、行財政改革など構造改革推進の旗振り役を務めました。

その後橋本首相の退陣により、江田憲司氏もそのまま退官しました。

南の島に渡り放浪生活

https://go2senkyo.com/seijika/96855

退官後、改革に反対する先輩官僚や政治家の醜い姿を見て失望したのが42歳のとき。

「人生をリセット」するためにハワイで放浪の旅をしたそうです。

それまでの人生とは全く違う生活を選んだのが驚きですよね!

無所属で初当選〜自らが政党を結成

そして、その後江田憲司氏が初当選したのは2002年。

自民党の「しがらみ選挙」を嫌い、無所属で出馬し当選しました。

「政界再編」を訴え続け、次々と自らで政党を結成していきました。

・みんなの党(2009年/幹事長)
・結いの党(2013年/代表)
・維新の党(2014年/共同代表・代表)
・民進党(2016年/代表代行)

数年の間にこんなに政党をつくってきたんですね!

江田憲司議員は「しがらみのない政治家」であるために、自民党のライバル政党をつくり続けてきたそうです。

そして2020年からは、立憲民主党に参画しています。

まとめ

今回は、江田憲司議員について調査しました。

このようにネットでも江田憲司議員を支持する声が続々と上がっています。

今後の活躍に期待しています。

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